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1997年11月下旬ソフト会社を経営する私は同業のKさんと中国国境の町遼寧省の丹東市に行きました。
鴨緑江をはさんで対岸は北朝鮮の新義州です。
あれから16年になります。
サラリーマン時代の貿易を除けば、これが私と中国との関わりのきっかけになります。
今では丹東市は北朝鮮国境の町として少しは有名になりましたが、当時丹東市を訪れる日本人はほとんどいませんでした。
丹東市へは、プログラマーの募集に行きました。
当時はプログラマーが不足していて、日本人技術者が集まらないので中国人技術者を採用しようとしても、
素性がわからないので、不安でした。
いつものとおりKさんと飲んでいるとき、中国人技術者の話になり、
私が
「中国人技術者の素性がわからないからな」というと、
「おい、じゃあ中国に行こうよ」
「行って確かめないと、実は俺も心配だよ」
「実はなあ、うちにいたOさんというのが、丹東市の人事局にいるというので聞いてみようか」
「Oはね、本人が研修だから給料はいくらでもいいからというので採用したが、あいつほとんど仕事してないからなあ」
と言う。
「だろう、だから心配なんだよ」
「だから、行って確かめようと言ってるだろ」
「うん、わかった」
「良いのがいたら採用しようよ」
「そうだね」
Kさんと中国に実際に行って確かめようということになりました。
それでKさんがOさんに連絡をとり、面接をして良いのがいれば採用するから、
面接用に何人でも集めて欲しいと依頼する。
すると、待ち構えていたように、中国人技術者を十数人ほど集めたと連絡してきました。
Oさんというのは、Kさんの会社で1年近く働いて2年ほど前に中国へ帰り、
丹東市の人事局で働いていたので、待ち構えていたようになったのです。
それで11月の終わりに中国の丹東に行くことにします。
電鉄系の旅行会社で、成田・上海間の航空券と、
丹東に行く前のよると、丹東から返った日の夜は上海に止まることにして四ツ星ホテルのシングルを予約します。
それに丹東往復の航空券です。
丹東のホテルはOさんが取るというので任せることにしました。
5泊6日の中国行きです。
内、丹東は3泊4日です。
行く前に、丹東での採用試験の準備です。
筆記試験は、日本語能力をしるために日本語の作文『作文のタイトルは日本でコンピュータ技術者の仕事をした理由』。
実技試験は、実際にパソコンを操作しての演習問題(言語はVB、Cなどプログラム言語は何でも構わない)。
それに面接です。
パソコンは丹東市に準備してもらうことにしました。
1997年といえば中国から帰ってくると、山一証券の自主廃業という思いがけないニュースでした。
Kさんの会社は山一證券の子会社で下請けの開発センターに社員をを何人か
常駐させ取引をしていたので少しの影響はありましたが、
当時は仕事はいくらでもあった時代ですので良き時代でした。
日本へ戻ると、丹東から、5人の書類が届いていました。
履歴書
戸籍謄本
卒業証書のコピー
在籍する会社の在籍証明書
日本で就労した理由書
いずれも日本語の翻訳がついています。
卒業証書は公証人の証明書がついています
入管へは、行政書士に依頼するように言いましたが、
管理部長は入管に行って、教えてもらえば自分にもできると言います。
事実、入管は親切丁寧に教えてくれたようです。
会社で用意するのは、
会社案内、
登記簿謄本
決算書など
職務内容が記載された雇用契約書のコピー
会社が中国人を雇用する理由書
管理部長は、3人の申請書類と、
Kさんからもらった資料をもって入管に再度相談に行きます。
重大な問題が発生しました。
5人のうち2人は、申請しても、『技術』の在留資格に該当しないということです。
具体的には、大学を卒業していないので、
その場合は実経験が10年必要で、履歴書からはんだんすると10年に満たないので該当しないので、
申請しても審査で却下されるということです。
あとの3人は書類上は問題ないので、事実関係もふくめて入国審査官が審査して、申請日から1ヶ月以内には、
合否が決定され、会社に通知があるということでした。
もちろんKさんには、必要な書類や入管の説明や、
入管からもらった入管法のコピーのコピーを渡して説明します。
たまたま一人ずつ落とされました。
それで、このことを書面にして、
そして3人の雇用契約書を丹東のOさんに国際郵便で出します。
KさんにはOさんから電話があったようです。
しばらくすると、3人の本人の署名押印がされた雇用契約書が同封された書類が届くので、
年内には入管に申請しました。
年が明け、1月の末頃、入管からそれぞれの会社に通知がきます。
通知といっても、『在留資格認定証明書』がポッロと入っているだけです。
管理部長が入管に問い合わせると、
『在留資格認定証明書』を本人に郵送し、
本人が日本の領事館に必要書類と一緒に提出すると、ビザが発行されるという説明です。
管理部長は3人分の『在留資格認定証明書』をEMSでOさんに郵送します。
KさんがOさんに電話すると、
『在留資格認定証明書』を郵送してくれたら、後は人事局で面倒をみるから、
中国をでる出発日が決まったら連絡するということでした。
1週間ほどたつと、2月の25日ごろに来日すると連絡があります。
さて、ここからは女性の秘書が大活躍です。
まずアパート探しです。
新築のアパートを会社保証で契約したようです。
1週間前になると、最低限の所帯道具です。
小物は会社の経費にしましたが、冷蔵庫、洗濯機と布団は、私とKさんのポケットマネーにしました。
あとでわかったことですが、
こんなことまでしなくていいようです。
彼らは放ておいても勝手にきます。
日本にいる中国人と連絡をとって住むところや所帯道具は手配してきます。
そういう連携の組織になっているそうです。
上海空港に着くと、丹東市の上海駐在員が二人、迎えにきていました。
早速タクシーを拾ってタクシーに乗ります。
運転手に、日本で予約してきたホテルの名前を書いたメモを見せながら
ホテルの名前をいうとタクシーは無言で走り出します。
車中での二人の行儀の悪いこと。
タバコを吸うのはいいのですが、二人は吸殻をポイ ポイ と窓からすてていきます。
そして、やたら大きな声で二人は怒鳴りあっています。
何か話しかけてきます。
「ミシミシ」
と何度も問いかけてきます。
「なんか言ってるなあ」
「ミシミシって言ってるみたいだよ」
「そうだなあ なんあだよ ミシミシって」
「まさか蝉の話をしているんじゃないよね」
「まさかこの寒い時期にセミの話か」
日本語で
「ミシミシって言ってるの」と聞いても、
そうだと言わんばかりに
「ミシミシ」
と我が意を得たりとばかりに返事をしてきます。
いくつか日本語で質問しても、ミシミシばかりなので、
日本語ができないことを悟ります。
日本人二人も黙り込んでしまいました。
ホテルに到着すると、一人がタクシー代を払おうとします。
Kさんが、
「それはまずい、これは俺らが払う」
と大きな声でいいますが、
前の座席に乗った二人は、これが俺らの仕事と言わんばかりに、
強引に、一人が我々おろし、
一人が運転手にタクシー代を払っています。
そして、せっかちに運転手に、偉そうに、後ろのトランクを早く開けろとでも怒鳴っているようです。
トランクが空くと、運転手を静止して二人は我れ先にと旅行カバンを取り出すと、
ホテルの自動ドアをとおりフロントへと真っ直ぐに進んで行きます。
チェックインは英語と日本語でなんとかなります。
駐在員二人は部屋までついてきます。
そしてまた
「ミシミシ」が始まります。
部屋ではジェスチャいるです。
二人は同時くらいに、
「わかった」
「飯 飯って言ってるんだ」
顔尾を合わせます。
「飯くったか」
「腹減ってないか」
「飯に行こうって言ってるんだよ」
「そうだね」
「でも俺、彼らと飯を食いに行きたくないよ」
「俺もそうだよ」
というと
Kさんが
「俺たちは疲れているから飯はいいよ」v
とジェスチャをいれて話します。
これはなんとか通じたようです。
そういえば日本人は、よく
「飯行こう」とか「飯 飯」っていいますね。
よく観察していますよ。
これから先は、相手が何を言いたいか察して、
先手で言わないと会話になりません。
私は上海紅橋空港9時30分発の丹東行きのチケットを見せて、
あす丹東に行くので、朝、上海の飛行場に行くと伝えます。
わかってもわからなくてもいいのです。
上海の飛行場くらい、二人で行けます。
でも彼らは何か、真剣な表情で言っています。
「ミシミシ と同じ推理が必要です」
「Kさん、かれらここに迎えにくると言っているのでは」
と言うと
「あ そうか そうだな」
Kさんは駐在員に、
「明日の朝、7時半に迎えに来ると 言ってるの」
と質問しますが、
また訳のわからない二人の中国語が我々に向かって飛び交います。
Kさん英語でいいます。
全く通じないようです。
私も調子にのって
モーニングを
「サン アップアップ」と手振りをいれて言いますがますます混乱してきます。
仕方なく、ホテルのメモ用紙に
日が昇る絵を描いて
時計を描いて
7時30分を示します
そして指差して
「ここ ここ」と言います。
やっと通じたようです。
彼らがここにこようとくるまいと、大したことではありません。
私たちは遅くとも8時には、タクシーで空港に向かうだけです。
10分もすると駐在員二人は部屋を出て行きました。
もうグッタリで、上海の夜の街に行く気になりません。
ホテルのビアホールに行き、1時間ほど飲んで10時過ぎには、
それぞれの部屋に戻り寝ました。
朝食は、朝7時にホテルのレストランに行きます。
四ツ星ホテルにしては、レストランのグレードが低いようです。
Kさんはいつもどおりのトーストです。
オムレツを焼いてもらっています。
私は和食なので、ご飯と味噌汁と焼き魚を探します。
ご飯は残り少ないがかろうじてあります。
味噌汁は、これもかろうじて1杯です。
焼き魚とかカマボコとかは、あったような形跡はありますが、
残っていません。
東海漬物のきゅうりのキュウチャンのような漬物はあります。
しかたありません。これを取ります。
席に着くなり、こんなもんしかないと私は愚痴ります。
猫マンマにして食べます。
いくらするんだろうと椅子にかけてある勘定札をみます。
50元くらいの値段が記載しています。
こんなんで50元もするのか、ウェイターを呼んで文句を言おうというとKさんいうと、
「言え 言え 日本人を馬鹿にするなと言え」とけしかけます。
ウェイターと目が合って、手招きするとやってきます。
「日本食はこんなもんしかなくて50元もするのか」というと、
勘定札を見ていたが、わかったのか、どうか、何も言わずに持っていきます。
Kさんは、
「な 言って良かっただろう」
「あたりまえだよ」
二人は、この時考えたのは、当然料金がさがると思ったのです。
コーヒーを飲んでいると、先ほどのウェイターが勘定札をもってやってきました。
日本人二人を無視して無言で、勘定札を椅子にかけて立ち去りました。
「この野郎、態度わるいな」
「あとでフロントに文句言おう」
そして私は感情札をとり計算書を見ました。
なんとなんと、朝食代金は一人150元で2名様になっています。
私は、無言でKさんに勘定札を渡しました。
Kさんも言葉少なめに、
「よーし フロントに言おう」
さて、フロントで、日本語で抗議します。
「ソーリー」
とだけ返ってきます。
日本語の意味はわかったが、日本語では返事をしないようです。
あとでわかったことですが、この時代、外国人料金があったのです。
それ以来、可能な限り、支払いは中国人に依頼するようになりました。
彼らは泣き寝入りなんてしませんからね。
長い時は30分くらい交渉してますからね。
日本人だって労を惜しまなければできるのですが、中国語が堪能でないとできませんからね。
駐在員二人のうち一人は、我々の飛行機と同じです。
大きなダンボールを2、3個束ねた荷物をもって客室に持ち込みます。
あとでわかったことですが、彼は赴任を終えて丹東に帰るところだったのです。
もうひとりは、上海にいますので我々が丹東から戻って、
また我々のお相手をします。
これがまた、腹がたつほど愉快です。
上海空港につくと、例の駐在員が出迎えに来ています。
3人は、往路にとまったホテルへとタクシーを飛ばします。
ホテルのフロントに着くとチェックインは私たちで事務的に済ませます。
日本円を中国元に両替してもらい、フロント係に、
「今日、丹東の空港で丹東市人事局のOさんに、
空港利用税を借りましたので、
このお金を、こちらにいる丹東市の駐在員に、
説明してOさんい返してくれるように通訳してください」
日本語で話すのですが、まったく通じません。
チェックインは日本語と英語で通じたのですが、このような会話になると、
まったく通じません。
英語で話すと、輪をかけたようにまったく通じなくなり、
喧騒とした場面になるので、奥にいた日本語のできるたぶん日本人と思しき女性が駆けつけるので、
また最初から話をすると、目の前の中国人フロント係に中国語で話をしているようです。
終わると、中国人フロント係は、丹東市の駐在員に説明を始めるのですが、まったく通じていないようです。
私とKさんは目を合わせて、どうなってんだという顔をし合います。
これを見ていた日本語のできる女性のフロント係は、
カウンターの端にいる、別の中国人フロントに、英語で説明をします。
するとその中国人フロント係がやってきて、丹東市駐在員に、中国語で説明を始めました。
つまり、日本語から英語、英語から中国語です。
あとでわかったことですが中国語でも、
上海語と北京語の違いで駐在員の中国語と会話ができなかったようです。
何か、お金は受け取れないと断っているようです。
その都度、中国人フロントは何やら私たちに言いますが、
「いいから渡してくれ」と日本語で言うと、
横から日本語のできるフロント係りが、中国語で何やら言ってくれます。
これを何度か繰り返すうちに、上海駐在員も納得して金を受け取ってくれました。
こんなことで30分ほどフロントで無駄な時間を潰しましたが、
やっとホテルの部屋に3人が入ります。
私とKさんは、既に何を食べたいかは決めています。
何と行っても、上海ガニです。
駐在員は、例によって「ミシミシ」と聞いてきます。
もう私たちはミシミシの意味が飯飯ということはわかっていますので、
下手ではあるが、手を広げ指先を回しカニのジェスちゃをします。
こんなんで通じるのかと思いますが、以外に通じます。
上海ガニの店に行く前に、Kさんが薬局に行きたいと言い出しました。
奥さんに頼まれた薬を買いたいらしいのです。
これは薬の名前を紙に書いていたので、これを見せると、駐在員は大きく頷きました。
それからKさんが、女を抱く真似をして手でマイクを作りカラオケの真似をしましたが、
これも一発で理解したようです。
「こういうのは万国共通なんだな」
私が言うと、Kさん、
「みんんこうだと楽なんだがな」
とおどけているが、すこし有頂天気分のようです。
ホテルをでると、通りを渡ってさっそく薬局にいきます。
駐在員は、さきほどのKさんのメモを見ながら説明しています。
店には薬が棚いっぱいに所狭しと並んでいましたが、
店員は説明を受けると、奥へ行きましたが薬を5、6箱もって戻ってきます。
メモの薬のほかに1、2種類買ったようです。
店をでると駐在員はタクシーをとめ、2、3分車を走らせます。
車を降りる際、料金を私らが払おうとすると、今度は抵抗しません。
丹東の空港利用税の支払い騒動でこりたのでしょう。
肩が擦れ合うほどの混雑の商店街を進んでいきます。
駐在員は予約してたかのように、店の前にくると中に入っていきます。
店員は目があうなり、私たちを2階へと案内します。
すこし落ち着いた雰囲気です。
赤色でなく、黒を基調としたシックな店です。
よく見る赤を中心とした中華料理店のイメージとはすこし違いますが、
日本人の私たちには落ち着きます。
席に着くなり駐在員はなにやら言っていますが、私たちは無視です。
メニューをもってくる間もなく、
「上海ガニ」
と店員にいいます。
意外と通じます。
数を聞いているようです。
知ったことではありません、1、2、3人と数え、
指で3をを作ります。
これもわかったようです。
さて、次は、上海ガに以外の料理の追加を要求しているようです。
メニューはないのかと言いますが、
店員にも駐在員にも通じません。
それで、ホテルから持ってきたメモ用紙に、
「品書」と書いて駐在員と女性店員に見せますが、
二人は顔を見合わせて、首をかしげて困っています。
だまっていると中国語で喚きますから、
二人はメニューはもういいと、と言って、
日本語で、私は青菜の炒め物を注文します。
青菜と一緒に炒めるのは、エビでも豚肉でも牛肉でも、何でもいいのです。
野菜が食べたかったのです。
メモ帳に野菜、青菜、・・・と書いていきますが通じません
今度は、メモ帳に、
チンゲンサイ風の野菜の絵を書きます。
通じません。
二人は、交互に野菜の絵のコンテストをやります。
どうも落第のようです。
しょうがないから、
大地を書いて、畑を耕して、種を蒔いて、芽がでて、野菜が生育して行くマンがを書きます。
すると女のこがいなくなりました。
戻ってきた時には、大きなザルに、いろんな野菜をのせています。
この中から好きな野菜を選べと言っているようです。
まともに会話ができるはずがありません。
全部欲しいと言わんばかりの格好をして、
「何でもいいから・・・・全部でもいいよ」
なんか言っていたが、階下に降りていきました。
戻ってきた時には、盆に上海ガニを3匹ほどのせています。
これでいいかと聞いているんだと思います。
指でOKの印をつくって見せると、ニッコリして階下に行こうとするので、
肝心のビールの注文がまだです。
駐在員にビールを飲む真似をすると、
この時は、待ってましたとばかり、理解して
ビールの注文をしてくれます。
この後、料理が運ばれてきます。
満足です。
上海ガニは、まるごと蒸しています。
野菜は、適当に、エビと炒めたり、豚肉と炒めたり牛肉と炒めたりして5、6品でてきます。
満足です。
駐在員が、気を使って、料理の追加注文をしろと言っているようです。
駐在員を指差し、「お前が食べたいものを好きなだけ注文しろ」
というと、すこし考えていたが、開き直ったように、
肉料理、豆腐料理などを注文していました。
こうして上海ガニ屋では2時間ばかり過ごします。
腹いっぱい飲んで食って1万5千円くらいです。
勘定は我々が払いますが、勘定のチェックと値切り交渉は駐在員の役割です。
日本円で1万8千円位が1万5千円くらいになったと思います。
ただし、交渉には15分くらいかかります。
v
腹いっぱいなので、次は、ktvです。
丹東で、カラオケのことを「KTV」、カラオケ屋が「歌舞庁」と言うんだと覚えてましたので、
気がつくと周りは「KTV」「歌舞庁」のネオンや看板だらけに気がつきます。
駐在員は、ここは任せておけとばかりに、早足でさっさと店に向かって歩いていきます。
どうやらオフィス街に向かっているようです。
着いたのは、20、30階建てのオフィスビルです。
まだ7時過ぎごろで退社するサラリーマンもいます。
横のドアは、ドアの入口に小さな「KTV」の看板がおいてあります。
KTVの看板の横のドアを入ると、KTV直行のエレベータがあります。
エレベータを降りると、すこし広いフロアーがあり、その奥には個室へのドアが並んでいます。
すこしすると日本語のできるマネージャーがいて、初めてですかと聞かれるので、そうだと答えると、
システムの説明をしてくれます。
要は、女の子を一人づつ付ける。
気に入らなければチェンジできる。
おんなの子には直接1万円をチップで払ってくれ。v
飲み物と料理は部屋から注文できる。
女の子はカタコトしか日本語ができないので、何かあれば電話で呼んでくれ。
すぐに蝶ネクタイの男のこが来て部屋に案内される。
部屋は広くて20、30畳はありそうで、
ドアに近いところにソファーセットがあり、
奥の窓際にソファセットが2つくらいある。
私とKさんは奥の窓際のソファーに1人づつ座るように指示される。
すると若くて容姿のよいこ娘がよこに座る。
気がつけば、駐在員はドアに近いところのソファにいた。
もちろん横には女の子もいた。
財布から3万円を出し横についた女の子に、
おんなの娘3人を指差し3万円を渡すと意味が通じたようです。
すぐに二人の女の子に私に行きました。
もらった子は丁寧にお辞儀をします。
これを見て、ここの女の子は日本式の教育がされていることに関心しました。
なぜなら、普通、中国人は、日本人のようなお辞儀は絶対しません。
頭など下げません。
絶対です。
部屋が広いのにはびっくりしました。
カラオケは日本語と中国語の曲の歌詞本がある。
カラオケ装置は日本製では無いようですが、同じようなシステムです。
一つ違うのは、
つまみや料理、飲み物を注文するのにパソコンの注文システムになっていること。
女の子に言えば注文してくれるが、すこし違和感があります。
会話は横についた女のこと1対1のシステムになっています。
確かに女の娘の会話はカタコトの日本語です。
女優並みの容姿端麗な若い女の娘が、どんどん密着してくるので、
どんどん鼻の下は垂れ下がってきます。
どんどんHモードになってくるので、明るい歌をと思って、
『憧れのハワイ航路』をいれたつもりが『憧れのハワイ空路』になっています。
初めて歌う曲ですが、なんとか歌い終わると、二人の場が明るくなる。
すると、なんとか言っている。
ほんとに聞きづらいので、何だというと、
耳元で言われる。
「私を日本につれて行って」
耳元で、息がかかる声でいわれると、
こころは、どんどんHモードになってくる。
もちろんそんなことできるはずがない。
しかし、女の子は本気のようです。
他の二人をみると、二人共セクシーモードになっている。
明日は日本に帰るのだから、と気を取り戻して、
カラオケを歌ってムードを変える。
こうして上海の夜は更けていく。
気がつけばもう10時なのでチェックアウトをしてもらう。
勘定のチェックと交渉は駐在員の仕事で、
日本円にして、3人で1万5千円くらいなので、
天にものぼる快楽からすれば安いものかもしれません。
v
翌朝は、往路の失敗があるので、6時にホテルをでて、ホテルの周りで食事をすることにします。
歩いているうちに朝一の路地に紛れ込んでしまいます。
どんどん、どんどん人が湧いてきて、路地は人で埋まってします。
路地の中は怖いので、路地の入口の三叉路で、
50歳くらいの鶏売りのおじさんと40歳くらいの主婦であろうおばさんの、
商売のやり取りをしばらく呆然と眺めていました。
おばさんがこれちょうだいとでも言うと、
おじさんが、あいよとでも言って、
自転車の荷台の鶏ケージから生きた鶏とりを1羽取り出すと、
鶏の首をくいと片手でへしおるます。
鶏は、クットうなだれて首が垂れ下がる。
そして器用に羽をむしり、横ののビニール袋にいれていきます。
二人は鶏の方など見てはいません。
二人は顔を見合わせ、20年、30年の顔見知りのように、
大きな口をあけて、そして笑みで会話をしています。
ものの2、3分もすると、すっかり丸裸になっています。
するとおじさんは、裸の鶏を新しいビニール袋にいれると、
くるくるをビニールの口を回して締めそして結んで、
おばさんに、あいよとでも言って渡します
ばさんは用意していた札と小銭をおじさんの手の平に載せる。
そして何事も無かったように立ち去ります。
気がつくと時刻は7時になっている。
あれだけいた客はもうほとんどいません。
陶器の露天商人が売れ残った陶器を片付けている。
ホテルの目の前に、大きな庶民的だが店構えが立派な『麺店』と
頭上の壁に書いた看板の店があるのに気づく。
「なんだ、ホテルの目の前に店があるじゃん」
二人はそう言うと店の中に入る。
店の中は4人掛けの安っぽい合板のテーブルが10個ほどあり、それぞれのテーブルには、
ビニールがすこし破れたところもある丸いパイプ椅子が4つづづおいてある。
入口の横はレジになっており、レジの上野の板壁には、品書きがある、高くても日本円で300円くらいで、
ほとんどは100円以下の品ばかり、レジの奥は厨房で、
食堂との境界のてんじょからは、豚の燻製がぶら下がっている。
二人は中程のテーブルに座った。
そして、二人は何を何と言って注文していいかわからなかったので、
たまたま隣のテーブルで食べていた人のチャシュのような具がたくさん乗った、
つけ麺の丼をさして、あれと同じものが欲しいと日本語でいう。
Kさんも同様にして注文した。
本当は朝なので、軽い醤油ラーメンのようなものにしたかったがしょうがない。
すぐに具沢山のつけ麺はやってきた。
ここまではシナリオどおり。
箸を取るが、これがイケナイ。
白い竹箸が何回も何回も使ううちに露が染み込んだのだろう、
どの箸も真っ黒になっている。
しかたがない、ひと組取り出して使うことにする。
こころなし、噛むと前に使った染み込んだ露が滲みでてきそうである。
箸を噛ま内容に麺を食べる。
不潔感でいっぱいです。
考えると食べられないですよ。
麺も露もチャシュも美味しいが、割り箸持参だと、
つけ麺も美味しくいただけたと思う。
半分も麺をたべ終わらない内に席はいっぱいにあんる。
頭の帽子を見るとタクシーの運転手のようです。
タクシーの運転手の多い店は美味しい店が多いと言いますが上海でも同じようです。
タクシーの運転手でいっぱいです。
タクシーの運転手さんの食べているのをみると、私が食べたかた醤油ラーメンです。
味はすこし違うと思いますが、日本の醤油ラーメンと見かけはほとんど同じです。
すこし残しましたが、勘定をすると日本円で200円くらいです。
2人前でですよ。二人まえで13元です、1杯6.5元です。
運転手さんの食べていたラーメンは3元か2.5元だと思います。
50円しないんですよ。
往路の馬鹿ホテルのレストランのモーニングの料金を思い出すと、ムッカ腹が立ちます。
3人が日本へ来て、2、3日すると会社に丹東市人事局からファックスが届きます
Kさんの会社にも同文のFAXが届きます
宛先は会社名のしたに中国人名です
一応会社の宛名が入っているので管理部長がチェックします。
本人にも確認して、会社宛では内容です
管理部長が報告にきます
どうも採用した本人にそれぞれ100万円づつ払えとの請求書です。
期日は書いていません。
一応中国語ですが、この程度は日本人にも理解できます。
それで、
中国人二人を呼んで事情を聞きます。
事情を話そうとしません
これは会社には関係ありません
私と人事局の問題です、と言って説明しません。
Kさんいも電話して聞くと
Kさんも尋問しているが、説明しないということです。
Kさんと私は、推測で話をします。
丹東市の人事局は有料で日本への就労を斡旋していたようです。
これ以上、尋問しても説明しないようですから、
関与しないことにしました。
あとでわかったことですが、
中国から日本へ、留学でくるにも就労でくるにも、
ただでくることはないとということです。
これが中国人社会の常識です。
日本では通常ありえませんが役所でも有料斡旋です。
だからブローカーがたくさんいるのです
中国では何かをしてもらうのは、すべてカネです。
そういえば論語にありましたよね。
何かお願いに行く時は、必ず手土産をもっていくようにと。
いまでは手土産とは現金です。
儒教じゃない儒学の世界です。
もっとも儒学の論語や礼記の話をしても、
わかる日本人はいなくなりました。
日本でも手土産をもってお願いにいく風習はありましたが、
もうなくなったようです。
ま、日本人は介在しないことです。
巻き込まれることはありますが、
詮索するのは日本人の悪い癖です。
公務員は、己に覚えがあるので、詮索するのでしょうね
アホクサ
一人は、この物語にも何回か登場しますが、後にソフト会社を起こして社長になります。
入社した翌々年の、2月に入ると、突然中国の正月なので有給で中国に20日帰らせてくれと言ってきます。
有給休暇は2年目に15日あるのと前年の繰越がありますので、20日程度は有給でも休めますが、
正月休暇そうそう認めるわけには行きません。
中国人のことです。簡単には引き下がりません。
結局1週間つまり、土日をいれると9日です。
彼の上司が、皆の反対を押しきって、1週間の休暇を許可したのです。
しかし、休暇明けになって、管理部から彼が出勤していないと報告があります。
すかさず、日本人の同僚から、彼は、帰国して熱が出たので休ませて欲しいと電話があたっと報告が上がります。
しかし、翌日になっても、まだ熱が下がらないから今日も休ませて欲しいと連絡があったと言います。
さすがに三日目になると、彼の上司が、電話を受けたという本人を問い詰めます。
それで結局、彼に頼まれて嘘の報告をしたことを自供します。
彼はのこのこと20日後に出勤してきました。
もちろん中国に帰って仮病を使って休んだことがバレバレなことを承知しています、
何事もなかったかのようにふるまう彼の行動に切れた彼の上司である部長は、言います。
「おまえはクビだ」v
彼は、私のところに直訴にきます。
「そうすぐ、在留資格の更新がありますので、それまでやめさせないでください」
管理部長が受けて、彼に言います。
「本日で退職を通告します」
「退職日は今日から1ヶ月後です。
「会社には来なくても結構です」
「入管への雇用契約書の証明は発行できません」
しばらく喚いていましたが、結局立ち去りました。
あとで聞いた話を結び合わせると、彼はソフト会社を起こすため、その準備で中国へ帰ったようです」
その後数年して、彼から電話が会った時にはびっくりしました。
私のところにいたもう一人の技術者は、在留資格の更新が終わると、
突然、月末の2、3日前になり
「私は今月で会社うぃ辞めます」
「お世話になりました」
と言う。
管理部長が、
「あなたは辞めてどうするのですか」
と聞くと、
「心配ないです」
「次の会社はもう決まっています」
「次の会社は、ここより少し給料が高いです」
とのうのうと言う。
入管の在留資格更新で労を負った管理部長は、感情が高ぶって入館に電話する。
「こういう事情なので・・・・在留資格を取り消ししてください」
入管の返事は、
「在留資格は審査して許可するものです」
「許可された在留資格は、技術です」
「技術の分野で働くのであれば他社でも構いません」
「あなたの会社で働く条件で在留資格を更新したのではないので、一度発行した在留資格は、取り消しできません」
管理部長が歯ぎしりしたのは当然です。
在留資格の付与とは、こういうものです。
在留資格を取り消しするためには、申請内容が虚偽であることを入管に申請または密告すると、入館が事実の調査権をもって調査し、内容が虚偽であること判断すると、本人に付与した在留資格の取り消しを行い、国外強制退去の行政処分を行います。
あとで事件に巻き込まれますが、入管が在留資格を付与したあと、本人が不法就労したからといって、雇用契約書の作成者を内容虚偽の雇用契約書を作成したといって、不法就労の幇助罪としたことに、最高裁判所は憲法違反なんていう大げさなものではなくて、単なる適用法の誤りとしています。
日本の司法の現実がわかると、中国共産党並みの恐ろしさを感じます。
政治家が無知だと司法は中国共産党並みの権力を振りかざすのです。
このことについては別の機会に詳しくお話します。
Kさんの会社にいたもう一人の行方はわかりません。
給与面の待遇で不満があったようです。
相手が言うような給与を払うような魅力がなかったので、条件を飲まなかったようです。
辞めたいと言うので、ひきとめなかったら自然にやめたと言う。
そのごの消息は全くわからないと言う。
これが一般的な中国人技術者のパターンです。